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東海道・中山道と草津宿本陣 草津宿は 東海道53次のうち52番目の宿駅で、とりわけ五街道のなかでも重要な街道と位置づけられた東海道と中山道の分岐点にあたる交通の要衝でした。
天保14年(1843)の「宿村大概帳」によると、本陣二軒、脇本陣二軒、旅籠七十二軒を数え、南北七町15間半(約八百メートル)・東西四町三十八間(約五百メートル)のL字型の形態をとる宿場でした。
宿駅機能を担う施設としては、四町目に問屋場・貫目改所、二町目及び一町目に本陣が設置されていました。 問屋場は、宿の政務を掌るところで、問屋・年寄などの宿役人が詰めており、貫目改所は、街道を往来する荷物の荷量を検査するとともに、一種の関所的な役割を果たしていました。
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| 大福帳 |
本陣は、公家・大名をはじめ貴顕の休泊施設で、史跡草津宿本陣として現存する一町目西側の田中七左衛門本陣と、現在その姿を目にすることのできない二丁目東側の田中九蔵本陣が、江戸時代を通じて存在しました。
本陣を補完する脇本陣は、時勢により変化は見られるものの、一町目から三町目に二軒ないし四軒が設置されていました。 旅籠屋は一町目から六町目にあり、多いときには百三十二軒を数えたときもありました。
宿の通行は、江戸と京を往来する将軍や、高家をはじめ、御茶壷や年頭使などの年間の定例通行、西国大名の参勤交代など、多くの通行が見られている。これ以外にも一般の旅人の通行もあり宿内はにぎわいを見せていました。
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